【観劇】新訳『ゴドーを待ちながら』リーディング公演

新訳『ゴドーを待ちながら』リーディング公演、12日のアフタートーク回に行ってきました。

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現在は主に2.5次元舞台を観ている私ですが、最初に舞台に興味を持ったきっかけは2.5次元ではなく、第三舞台の『朝日のような夕日をつれて'97』の映像を観たことでした。

あの有名な冒頭のシーンから一気に引き込まれて、映像でも伝わってくる熱量と勢いに圧倒された記憶は今も残っています。

その後、鴻上さんの舞台をはじめ色々な作品を観に行ったけど、『朝日のような夕日をつれて』のモチーフにもなっている『ゴドーを待ちながら』を観劇する機会がなくここまできた。

ずっと頭に引っかかってて、「いつかは…」と思っていたところ、こちらの公演のことを知り、しかもなんの偶然がそれがちょうどチケット発売の数時間前だったので、運命を感じて観に行ってきました。

 

ケラさんが来るアフタートークも聞きたいなと思ったので、12日の千秋楽を観劇。

「不条理劇でなんとなく重い感じの話だし、2時間20分もあって長く感じちゃわないかな…」なんて思ってましたが、そんな心配はいらなかった!

タイトルに新訳と書いてあるとおり、ベケット研究者の岡室美奈子さんが新たに翻訳されてます。今の時代に馴染みやすい自然な台詞になっているおかげで、頭の中が止まっちゃうことがなくてすごく集中できました。

リーディング公演なのでつまり朗読劇なのですが、思っていたより動きが多くて、それもまた楽しかった。舞台の一番前でト書きを読む演出もよかったなあ。

 

2つめのツイートの写真で舞台中央一番前に腰かけているのが、ト書き役(?)の井神さんです。

真っ赤な衣装に黒髪、白い肌でアンニュイに俯いた井神さんが、テンポがいいコントのようなやりとりの合間に、落ち着いた声で淡々と読むト書き。アフタートークでも触れられてましたが、ベケットの脚本ってト書きすらもリズムがいいんだなと驚きました。

お話についてですが、『ゴドーを待ちながら』が「悲喜劇」だっていうのがすごくよくわかるぐらい、笑ったし苦しくなった。

苦しいっていうのは、あてどなく待ち続けることの先の見えなさと閉塞感もさることながら、エストラゴンが口にする「俺たちは別れた方がいいんじゃないか」といった言葉で感じたこと。ずっと一緒にいて一緒に待っていた二人なのに、でも本当は一緒にいない方がお互い幸せになれていた/なれるのだとしたら??と思ったら、うわーって叫びだしたいような気持になった。人生ってなんなんだろ…みたいな…エストラゴンとウラジミールは観客からしたら一緒にいるのが当然の存在で、でもそんな二人が別々にいた方がよかったんじゃないかと思っているのって、好きだったバンドの解散報告を受けるときのような悲しみと苦しさがあった…アフタートークで、とあるお笑いコンビの方にエストラゴンとウラジミールをやってもらったら…みたいな話が出ていたのですが、もし実際やることがあったら、このセリフの場面はさらに大きな衝撃を受けてしまいそう。

あと、以前岡室先生が「ゴドーは刑務所で上演するとものすごくうける」といったことを仰っていて、閉塞感や社会に対する怒り・恨みみたいなところに共鳴するのではと話されていたのを覚えているのですが、今回のゴドーは個人的には高校生とかに観てもらったら刺さる子もいるんじゃないかなあと思った。単純におかしくて笑えるし、押し込められている辛さとか将来に対する不安のような高校生の感じている鬱屈にも通じるものがある気がしたので。

 

アフタートークもすごくおもしろくて、あっという間に終わってしまいました。 

 

ゴドーのことから始まり、別役実さんについて、宮沢さんの過去の作品についてなどなど、もっと聞いていたいお話ばっかりでした。内容は白水社の雑誌『ふらんす』に掲載されるようなので、ご興味ある方いたらぜひ!

 

そういえば、どらま館初めて入ったけど、狭さを感じさせない不思議な空間だった。また機会があったら、ここで観劇してみたいです。